甲 突 川 最 期 の メ ッ セ ー ジ | |||||||||||||||||
あなたは何を言い遺しますか。最期のメッセージを考えてみましょう。 | |||||||||||||||||
最期を考えることは過去を考え、現在を考え、未来を考えることです。 | |||||||||||||||||
過去が変わり、現在が変わり、未来が変わります。 | |||||||||||||||||
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現代葬儀考 メッセージに託す生きた証 (1996年 平成8年9月22日 西日本新聞「こだま」) | |||||||||||||||||
人間の健康は心などの調和 (2006年 平成18年4月22日 南日本新聞 「ひろば」) | |||||||||||||||||
地球の健康に 墓より記念樹 (2007年 平成19年11月16日 朝日新聞 「声」) | |||||||||||||||||
我は天年 宇宙は無限 漢方臨床第53巻1号(2006年) | |||||||||||||||||
ありがとう。なかよくね。さようなら。 2010(平成22)年7月19日 | |||||||||||||||||
おはよう。こんにちは。こんばんは。 2010(平成22)年8月11日 | |||||||||||||||||
引 用 文 献 | |||||||||||||||||
1)「各界著名人58名が望む理想の死に方」 (文芸春秋 2005年1月1日発行 新年特別号) | |||||||||||||||||
2)「日本の生死(しょうじ)観大全集」 (監修 立松和平 山折 哲雄 宮坂宥勝 四季社 平成19年11月16日発行) | |||||||||||||||||
3)足立 大進(あだち だいしん) 「もう死んでもいいのですか、ありがとう」 (春秋社 1992年6月10日発行) | |||||||||||||||||
4)クロード・アガリース著 河盛 孝蔵訳 「人間最後の言葉」 (筑摩書房 昭和38年8月5日発行) | |||||||||||||||||
5)ドキュメント 「見事な死 著名人52人の最期」 (文芸春秋 2008年2月号) | |||||||||||||||||
6)勢古浩爾(せこ こうじ) 「日本人の遺書」 (洋泉社 2008年1月23日発行) | |||||||||||||||||
7)明治人からの 「遺言」 (文芸春秋 1996年 8月号) | |||||||||||||||||
※参照ホームページ | 日本尊厳死協会のホームページ | ||||||||||||||||
日本尊厳死協会・かごしま | |||||||||||||||||
日本遺言MAIL協会 | |||||||||||||||||
行 | メ ッ セ ー ジ | 引用文献 | |||||||||
あ | 足立 大進 (あだち だいしん) |
1932~ |
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文献3 | |||||||
在原業平 (ありわら の なりひら) |
825~880 (56歳) 歌人 |
つひにゆく道とはかねてききしかど昨日今日とは思わざりしを (「古典和歌集」) |
文献6 | ||||||||
江上 波夫 (えがみ なみお) |
1906~2002 考古学者 |
明治、大正、昭和、平成と生きてきて、現在20世紀の文字通りの世紀 末に至って痛感していることは、地球の矮小化と、物質文明の飛躍的発 展、それに対して精神文化の萎縮、沈滞、自然環境の悪化、一方情報 化世界の成立で、人類は新時代の到来を迎えようとしている、人類自体 は依然として、民族だ、宗教だ、領土だといった既成の観念に縛られて、 身動きならないでいる。このような現実を早急に超脱しなければ、人類 は古代エジプト人やローマ人などと同様、巨大な文化遺産を遺しながら 新時代の人間に生まれ変わることが出来ず、自滅の道を急ぐことになる のではないか。私は敢えて言う。21世紀には人類は新人類に生まれ変 われと。 |
文献7 | ||||||||
大塚晟夫 (おおつか あきお) |
海軍少尉候補生 23歳 中央大学卒業 |
はっきり言うが俺は好きで死ぬんじゃない。何の心に残る所なく 死ぬんじゃない。国の前途が心配でたまらない。いやそれよりも 父上、母上そして君たちの前途が心配だ。心配で心配でたまらない。 (「新版きわだつみのこえ」) |
文献6 | ||||||||
納 利一 (おさめ としかず) |
1939~ |
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納 利隆 (おさめ としたか) |
1909~1987(77歳) 内科医 |
柔道6段であった父は「七高時代の柔道の練習に耐えてきたので、 この世に辛いことは何もない。他のスポーツのことは知らないが、柔 道が心身の鍛錬に良いことは確かだ」と柔道をたたえていた。体得 した精力善用自他共栄の柔道精神をまじめに実践したのが父の生 涯であった。父の死に直面して、「私たちは過去と未来の『かけはし』 として、束の間の現在に生かされているのである。一人一人の人間 が生かされているということは、人類の文化のかけ代えのない一要 員として、過去からのメッセージをキャッチしながら、明日の世代へ 『希望のメッセージ』を送り続けていることなのである」ということを実 感した。過去に感謝しつつ未来に夢を託していきたい。私が消えても、 あなたが消えても未来を生きる「希望のメッセージ」。(長男 利一 記) |
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納 マサ (おさめ まさ) |
1916~2009(93歳) | 父を支え、私たちを産み育てることが母の生涯のすべてでした。 私たちの現在があるのは母の御恩のおかげです。ありがたいこと です。生かされている「いのち」を切に生きていきたいと思っていま す。人生とは「かけはし」です。母の生涯が私たちに教えている「わ れづくり ひとづくり」が人間の一番大切な仕事ではないでしょうか。 先人の御恩を受けて「われづくり」、御恩返しは明日への「ひとづく り」。 (長男 利一 記) |
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か | 加藤 シズエ (かとう しづえ) |
1897~2001 国会議員 |
男女の平等というのは、男と女が同じことをすることではない。それぞ れの性の特性を活かされることを自由にできる、それが本当の平等な のではないでしょうか。 家族の食生活を担当する、という役割は非常に大切な仕事です。家 族のために心をこめておいしい食事を用意する、という仕事は女性とい う性にとても適した仕事だと思います。 |
文献7 | |||||||
孔 子 (こう し) |
前551~479 | 「わたしの生涯が、すなわちわたしの祈りだったのだ。」 | 文献4 | ||||||||
後藤田 正晴 (ごとうだ まさはる) |
1914~2005 | 父が最期まで語り遺したかった考えは、「戦後の平和な日本を形作った 憲法を改正するなら、先の戦争に至った要因や敗戦で得た教訓を忘 れず、人や時代が変わっても、政府の勝手な解釈や独走が出来ない よう歯止めを掛けられる姿にしてほしい。このことが21世紀の国家像を 世界に発信し国際的にも近隣諸国にも日本をより一層、理解してもらえ る原動力に繋がる」というものだと思ってます。 後藤田 尚吾(長男) |
文献5 | ||||||||
さ | 西郷 隆盛 (さいごう たかもり) |
1827~1877 | 「晋どん、晋どんもうこの辺でよかろう」 | 文献2 | |||||||
沢村 貞子 (さわむら さだこ) |
1908~1996 映画女優 |
やっぱり浅草なんて下町に生まれたことが、こんな私ってものを作った んです。下町の人間もね、もっといろいろ発言して、謙虚や正直を根っこ に置いた文化を日本中に広めたほうがいいと思います。それこそが何よ り下町人間の誇れることなんだから。 私たち夫婦はね、お骨は粉にして相模灘に撒いてもらうことにします。 「葬送の自由をすすめる会」にお願いして、ちゃんと船も予約して、お金 も払ってあるんです。その時が来たら、お葬式もお墓もなしで、きれいさ っぱり。 |
文献7 | ||||||||
城山 三郎 (しろやま さぶろう) |
1927~2007 (81歳) | 城山さんを語る時、勲章拒否と現憲法捥護の二点だけははずして ほしくないと思います。城山さんは「戦争で得たものは憲法だけだ」と 口癖のように言っていました。まさに城山さんの遺言と言うべきでしょう。 佐高信 編 城山三郎の遺志 2007年8月8日 岩波書店発行 はじめにー「お別れの会」の弔辞(佐高信)) より |
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銭屋 五兵衛 (ぜにや ごへい) |
1773~1852 | 主と親とは無理なるものと思へ。 欲と色と酒は敵と思へ。 |
文献2 | ||||||||
仙涯 儀梵 (せんがい ぎぼん) |
1750~1837 | 来時来処を知り 去時去処を知る。 懸崖に手を撤(はな)たず 雲深くして処を知らず。 |
文献2 | ||||||||
荘 子 (そう し) |
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文献4 | ||||||||
ソクラテス |
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文献4 | ||||||||
た | 田中 角栄 (たなか かくえい) |
1918~1993 | 「眠い 眠い」 | 文献2 | |||||||
デカルト | 1596~1650 哲学者 |
「さあ、わたしの魂よ、おまえは、長いあいだ閉じこめられていた。 いまこそ牢獄を出て、この肉体のわずらわしさを脱しなければな らない。喜んで、また勇敢に、この分離に耐えなければならない」 |
文献4 | ||||||||
な | 西田 幾太郎 (にしだ いくたろう) |
1870~1945 | 「まてしばし、やがて汝も休(やすむ)らん」 | 文献2 | |||||||
は | 秦野 章 (はたの あきら) |
1911~2002 参議員議員 |
近頃国会で論戦がほとんどみられなくなったのは、なさけねえな。 国会は言論の府であり、国における唯一の立法機関だ。そこで討論、 激論が行われずしてなんとする。論戦しない議会は滅びの道を進ん でいくよ。善悪の論戦を国会でどしどしやらなくなったら議会制度はな きに等しいんだよ。 |
文献7 | |||||||
林 市造 (はやし いちぞう) |
海軍少尉 23歳 京都帝国大学 |
晴れて特攻隊員と選ばれて出陣するのは嬉しいですが お母さんのことを思うと泣けて来ます。 (「新版きわだつみのこえ」) |
文献6 | ||||||||
平野 茂 (ひらの しげる) |
1938~ | 母は「なかよくね」と言い残しました。私も同じような気持です。 「兄弟姉妹なかよく、夫婦なかよく、親子なかよく、親戚なかよく、 友達なかよく、みんな仲よく。みなさんありがとう。」 |
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仏 陀 (ぶっだ) |
前559頃~478頃 |
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文献4 | ||||||||
細川ガラシャ (ほそかわガラシャ) |
1563~1600 (37歳) | 散りぬべき時知りてこそ世の中の花を花なれ人も人なれ (上編英郎編「細川ガラシャのすべて」) |
文献6 | ||||||||
ま | 松村 りヱ (まつむら りえ) |
1924~ | 私も「ありがとう」と言い遺せるようでありたい。しゅうとめの最期の言葉は 「あなたのおかげで息子が幸福になり、孫たちが立派に育ってくれました。 ほんとうにありがとう。あなたにはきびしいしゅうとめだったと思います。 それはあなたに対する期待が大きかったからです。おゆるし下さい。」でし た。この言葉でそれまでの苦労が苦労でなくなり、しゅうとめへの思いが 変わり、私の人生全体が変わりました。「ありがとう」はすばらしい言葉です。 |
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椋 鳩十 (むく はとじゅう) |
1905~1987 | 日本の村に人たちが小さい小さいよろこびを追っかけて生きている。 ああ美しい夕方の家々の窓のあかりのようだ。 (鹿児島県立図書館 椋 鳩十 没後二十年展より) |
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や | 山下 清 (やました きよし) |
1922~1971 | 「死んだら何もできなくなる」 | 文献2 | |||||||
吉田 松陰 (よしだ しょういん) |
1830~1859 | 身はたとひ武蔵の野辺に朽ぬとも留置(とめお)かまし大和魂 | 文献2 | ||||||||
ら | ルソー | 1712~1778 作 家 |
妻のテレーズに、「気を落さないようにしなさい。見てごらん、空は、 なんときれいに澄んでいるのだろう。わたしはあそこへ行くんだよ。」 |
文献4 | |||||||
レオナルド・ダ・ ヴィンチ |
1452~1519 |
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文献4 |
至道無難 | ヤフー | グーグル |
死んだつもりで生きる | ヤフー | グーグル |
安心立命 | ヤフー | グーグル |
老いは幸運の果実 | ヤフー | グーグル |
死は当然の最期 | ヤフー | グーグル |
喜び老いて 平然と逝く | ヤフー | グーグル |
最期のメッセージ | ヤフー | グーグル |
希望のメッセージ | ヤフー | グーグル |
最期の言葉 | ヤフー | グーグル |
希望の言葉 | ヤフー | グーグル |
平和の言葉 | ヤフー | グーグル |
人生の言葉 | ヤフー | グーグル |
言葉の力 | ヤフー | グーグル |
人生とは「かけはし」である。 | ヤフー | グーグル |
人生とはモットモット病のコントロールである。 | ヤフー | グーグル |
おれがおれがのが(我欲)をすてて、おかげおかげのげ(利他と感謝)でくらせ。 | ヤフー | グーグル |
利他と感謝のよろこび | ヤフー | グーグル |
ありがとう、なかよくね、さようなら。 | ヤフー | グーグル |
一つの目標、三つの理念、四つのテスト、四つの言葉 | ヤフー | グーグル |
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