| 地球の健康に 墓より記念樹 |
| 内科医 納 利 一 (68歳) |
| 私とは何か。どこから来て、どこに行くのか。生まれた時は覚えていない。気がついたら |
| 子供だった。年を重ねながら、年を取り終わるまで生かされている。体は土に帰り思いは |
| 生涯にお会いできた方々の記憶の中、書き残した文書の中、ネットの中などに残る。 |
| 父と母があっての私である。父と母の前に祖父と祖母が4人。その前に8人、16人、32人。 |
| その前の64人は名前も分らない。一人でも欠けたら私はいない。全員が生き続けていたら |
| 住む場所がない。一生ずつ生きて、席を空けてくださったお蔭で今がある。 |
| 人の健康は心と体と気の調和。人間の健康は社会の健康、自然の健康すなわち地球の |
| 健康の中にある。 |
| この地球を、生物を育む星として永続させたい。この人類共通の願いを実現していくため |
| に、多少ともお役に立ちたいものである。 |
| そのうち我が生涯は完結する。我が生涯の記念碑としてお墓を建てる代わりに、水源の |
| 森に記念樹を植えたい。後世に清流が残ることを期待しつつ。 |
| 2007年 平成19年11月16日 朝日新聞 「声」 より転載 |
| もりづくり甲突川 |
| 甲突川森の記念樹 |
| 甲突川最期のメッセージ |
| 我は天年 宇宙は無限 |
| 内科医 納 利 一 (66歳) |
| 鶴は千年 亀は万年 我は天年 |
| 組織の永続 人類の悠久 地球の永遠 宇宙は無限 |
| 我は天年 宇宙無限の中にあり |
| 鶴は千年、亀は万年、我は天年。この最初の一行は江戸時代に八十八歳まで生きた |
| 仙澶和尚の双鶴画賛である。天年とは自分の一生を精一杯生きるということであろう。 |
| 組織の永続、人類の悠久、地球の永続。これは願いであり、努力目標である。しかし |
| いずれにも終りがあるはずである。宇宙は無限。これは本当のような気がする。 |
| 時間的にも空間的にも限りがない。 |
| 我は天年、宇宙無限の中にあり。地球に終りが来ても、私たちを形づくっていた物質は |
| 星くずとなって、宇宙の中をただよい、またいつか新しい星ができるときの材料の一つに |
| なることであろう。そしてその星にまた新しい生命が発生するかもしれない。この地球も |
| その昔、宇宙の中の星くずが集まってできたのかもしれない。そしてそこに生命が発生し、 |
| 人類が誕生し、いろんな組織ができて、その中に私たちは生かされている。私たちの一人 |
| 一人は過去と未来の「かけはし」として束の間の現在にいかされている。 |
| 我は天年、宇宙の無限の中にあり。 |
| 加藤徹著「漢文力」(中央公論新社 2004年発行)に啓発されて、この文章ができた。 |
| この地球を生物をはぐくむ星として永続させたい。どう考え、どうしていけばよいか。人間 |
| とは何か社会とは何か、自然とは何か。正解は古典にあり。古典に学び、あすをひらこう。 |
| 漢方の臨床 第53巻第1号(2006年)より転載 |
| 哲学内科の哲学コーナー |
| 甲突川最期のメッセージ |