我は天年  宇宙は無限
                                                 内科医  納  利 一 (65歳)
  内科医の仕事の目標が訪れる患者さんの健康と安全と安心であるとすれば、安心が特にむずかしい。
多くの病気が不安から発生しているようである。
  生、老、病、死は避けて通れない。どう考え、どうすれば安心に至るであろうか。
  人生とは何か。人間とは何か。社会とは何か。自然とは何か。どう考え、どう生きたらよいか。健康とは
何か。病気とは何か。
  不安感にかられてクリニックを訪れる患者さんの訴えを聞きながら、一緒に考えることにしている。体に
不調を感じたり、心が疲れて眠れなくなった時、日頃考えなかったことを深く考えるようになる。「病気は人
を哲学者にする。」と言えよう。この時よく考え抜いて、その人なりの人生観、死生観を確立してもらうと安心
されるようである。そのお手伝いをするのが内科医や精神科医の仕事であろう。アメリカでも哲学を人生の
悩みを解決するために使う「哲学カウンセリング」とも言うべき新しい分野が出てきているそうである。
  私のクリニックにも「健康哲学コーナー」を作り、関係の資料を掲示し、参考になる書籍などを展示した。
終わりよければ、すべてよし。自分の人生の最期に残したい言葉などを考えてもらうことにしている。最期
の健康を考えることから、人生全体の健康を考えることになる。このとき漢文の古典を始め、古今東西の
思想家や哲学者の言葉が参考になる。
  実例を一つ。診察室にかけてある仙涯和尚の双鶴画賛を見ながら一人の患者さんと人生観や宇宙観
を語り合った。その方がその内容を文章にまとめて、美しく清書してきて下さった。
  鶴は千年、亀は万年、我は天年。この三行が仙涯和尚の双鶴画賛である。天年とは自分の一生を精
一杯生きるということであろう。組織の永続、人類の悠久、地球の永遠。これは願いであり、努力目標で
ある。しかし、いずれにも終わりがあるはずである。宇宙は無限。これは本当のような気がする。時間的
にも空間的にも限りがない。
                                      鹿児島県医師会報 平成17年7月号
                                   清流の健康哲学ポスター  略称「清流哲学」