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| 内科医 納 利 一 (49歳) |
| 北京というまちで、人間が人間を殺す流血の惨事が起きた。人の生命は地球より重いと |
| いう言葉が有る。むらやまちをいのちの入れものと定義すると、北京はいのちをはぐくむま |
| ちとしての機能を失っていると言える。 |
| 安心のためにと、人々から集めたお金で、生命保険会社などがつぎつぎと大きなビルを |
| 建てていく。自分が働けなくなったら、自分が死んだら、家族はどうなるだろう。お金さえあ |
| れば、お金が家族を守ってくれるであろう。このように信じて、私たちはお金を明日の安心 |
| のためのお守にしているのではなかろうか。 |
| 物質文明の中での価値観がそのまま続けば、物やお金は多いほどよいということになる。 |
| 月刊誌ボイス四月号で渡辺格慶応大学名誉教授が述べているように、これからはいのち |
| やこころを大切にする生命文明の時代。「衣食たりて礼節を知る」「足ることを知る」。大き |
| な混乱なしに物質文明から生命文明に、精神文明に移行してほしいものである。 |
| 子供たちが健全に育ち、大人たちが生き生きと仕事をし、お年寄りや病弱な方々が人間 |
| らしく生活できる、そしてそこで静かに生涯を閉じることができる人生の舞台。教育力と経 |
| 済力と福祉力の三つがそろった村のよさと町のよさを合わせ持ったむらのようなまち、まち |
| のようなむらを、平和で住みよい安定した地域社会をむらまちと呼んでみたい。昔々ある所 |
| にあったかもしれない理想の村よりも、理想の町よりも、もっと住みやすいむらまち。人間と |
| 社会と自然が調和したむらまち。 |
| 力を合わせていのちをはぐくむむらまちづくりを目指すことこそ健康と安全と安心に通じる |
| 道ではなかろうか。 |
| 1989年 平成元年6月17日(土) 南日本新聞 「ひろば」 より転載 |
| むらまちづくり甲突川 |