甲突川流域の人間・社会・自然の健康づくりの中で,子供たちの心と体を健康に育む実践的研究
                  「学校保健の向上に関する事業の助成」報告
                                                             鹿児島市立甲南中学校学校医  内科医  納  利一  62歳
 甲南中学校は鹿児島市医師会より学校保健の向上に関する事業の助成を受けている。平成9,10,11年度のテーマに
「中学生の心と体を健康に育む学校づくり,家庭づくり,地域社会づくりの実践的研究」であった。平成12,13年度のテーマ
は表題と同じである。
 鹿児島市城西ロータリークラブの奉仕モデル地区の一つとして,甲南中学校区が指定されたのを契機として,平成元年に
甲南保健クラブの健康づくり・むらまちづくり活動が始まった。
 この実践的研究を踏まえて,第37回学校保健研究協議大会で「甲突川の健康づくり基金」の構想を提案した。これが
1月17日の鹿児島新報の記事になった。この記事のコピーを本医報に掲載してもらえることになった。
 この基金をバックに20世紀が残した多くの問題を甲突川流域から総合的に解決して,人類の明るい未来を開いていき
たいと願っている。その糸口として,第5回目になる甲突川の集い,「集い語ろう甲突川の健康を」を郡山中学校区と
甲南中学校区が協力していける道を開く形で実行できたら,と思っている。ここに至る考え方の流れを御理解いただく
ために,甲南中学校の五十周年記念誌と南日本新聞のひろばの文章も転載してもらうことになった。
 思いを実現していくためには,まず甲突川流域の臨床内科医,特に学校医の先生方の御理解と御協力がカギになる。
そこで,まず市内科医会会長の沖野秀一郎先生に御相談いたしました。大変な時に,貴重なお時間をお割きいただき,
玉稿をいただきました。ほんとうに,ありがとうございました。
 「この地球を生物を育む星として永続させたい」この人類共通の願いを実現していくために,私たちの身近かな目標を
「水の飲める甲突川を後世に」とし,みんなで考え,できるところから実行に移していきたい,と願っている次第である。
よろしくお願いいたします。
 臨 床 内 科 医 の 過 去・現 在・未 来
                                                                                鹿児島市内科医会会長 沖野秀一郎
 旧制中学の低学年の僅か一学期ではあったが,家族が私だけ残して名古屋へ転住。そこで,現在の武之橋と天保山
橋の中間位の甲突川の川っぷちに下宿した。朝早くから近所のおじさん達は,“うなぎ”捕りの仕掛けに精を出される。
私は引っかかる楽しみで学業も忘れて堤防に腰かけて甲突川の流れをただ何となく眺めているのである。
 ちょろちょろ流れる川上から,今,腰かけているこの流れそして天保山から錦江湾にそそいでいく。“心に癒し”があり
“詩が生まれたり”もした。ただ,水が飲めるか等とはこれっぽちも頭をよぎらなかった。
 「川が生きている」と激的な衝撃を受けたのは,昭和34年9月26日,あの伊勢湾台風。丁度,名古屋は「中川」の川っ
ぷちの病院に内科医として赴任中で「死」の恐怖を味わった。「中川」を牛や馬や鶏の間を人間が流れていく。警察・
消防の救助隊が人間だけを引き上げて「死体検案」。私個人でも200体。こんな怖い「川」でもある。
 私ごとで恐縮であるが末弟が大学の卒業後某通信社に就職。大学は,フランス文学専攻であったため,フランスに出向。
国名はいえないが,公用語がフランス語である近くの国に廻され「支局づくり」に努力した。ただ,水が悪く,そのために
扁桃炎から腎不全を併発,三年で帰国,内地勤務となった。しかし,外来で人工透析をしながら社務に精励したが,
ついに合併症を引き起こし,東京で3日前に死亡した。数年前,郷里鹿児島の母校の百周年記念の特別講演にお招き
頂き「国際問題」について話したのが帰鹿の最後だった。
 私ごとの嫌なことを二つも書いたが,私自身はやはり“川と生きる”喜びを今でも老々の身ながら感じている。鹿児島市
医師会混声合唱団サザン・エコーの得意の合唱曲が,かの有名な團伊玖磨作曲『筑後川』である。「みなかみ」,「銀の魚」,
「河口」,「ダムにて」,「川の条」と5曲あるが,演奏が終わると,メロデーに感激して,目に涙し,女性群ではすすり泣きを
する声もきかれる。
 つねづね尊敬している納 利一先生に甲南保健クラブ発刊『ヘルシーニュース』を頂戴したので,その感銘したささやかな
思いを失礼ながらFAXしたところ,何か一筆をとご依頼を頂いた。前述の弟死亡のことでつい延引して申し訳なかったが,
“川と生きる喜び”を教えられ,“あこがれ”にまで走ったので駄文を連ねた次第である。内科医である私が今ささやかな
お世話を務めている市内科医会でも何かお手伝いはとつたない筆を走らせたわけである。
 納 利一先生の今後のご健勝を心から祈念して筆を擱く。乱文多謝。
                                                                                                                             (2月6日記)
ペア校区で「健康づくり・むらまちづくり」を
                                       鹿児島市甲南中学校学校医
                                                                             ヲサメ内科クリニック院長 内科医 納  利一 62歳
 子供たちの心と体を健康に育むためにはどうしたらよいか。そのための学校づくりはどうあるべきか。家庭づくりは,
地域社会づくりは。第35回鹿児島県学校保健協議会が平成9年1月29日鹿児島市中央公民館で開催された。
校長,学校医,学校歯科医,学校薬剤師,PTA代表,保健主任,養護教諭それぞれ1名ずつの計7名が「私の主張」を
発表した。私も学校医として下記のような話をした。
ペア校区で「健康づくり・むらまちづくり」を
1.はじめに
   子供たちの心と体の健康を考えるとき,それのみを切離して考えても問題の解決にならない。地域社会全体の健康
  の一部として子供たちの健康がある。平成元年,健康づくり・むらまちづくりを目指して甲南保健クラブが発足した。
  子供たちの健康,人間の健康,社会の健康,自然の健康を祝福する甲突川まつりを提唱するなど,ささやかな
  活動を続けている。
   時代は大きく変わろうとしている。よい方向に変わってほしいものである。原点に帰り,人間とは何かを考え,子供
  たちが健全に育つ,あるべき人間の社会づくりを目指して歩き始めるべき時であろう。
2.現状と問題点
 (1)人生とは何か?人生とは太古の昔から連綿と続いてきた生命を未来へと伝える「かけはし」であると言えるので
      はなかろうか。
 (2)地域社会とは何か?地域社会とは生命のかけはしの場であると言えるのではないか。百年後,千年後もそこに
     人が住んでいてほしい。
 (3)教育とは何か?人間の健康は社会の健康,自然の健康すなわち地球の健康の中にある。人は一人では生きて
     いけない。社会の健康を維持するための人生の知恵を伝達し,人類社会を永続させるのが教育であろう。病んだ社
     会に人間を適応させる努力が教育ではないと思う。
 (4)学校とは何か?教育を行う場の一つとして社会の中に生まれたものである。イヴァン・イリッチの脱学校の社会
     などでも論じられているように,その存在意義も含めて,いわゆる学校が根本的に問われている。社会の健康のた
     めに作った学校が社会の病気の原因の一つになっている面もある。ではどうすればよいか。ちなみにイヴァン・イリ
     ッチは脱病院の社会で,病気を治すために在るはずの病院が人間の病気を増やしていることを論じている。当初の
     目的に照らして現状を反省し,あるべき姿に持っていく必要があろう。
3.まとめ
 (1)地域社会は生命のバトンタッチの場である。そこで生命が生まれ育まれ,連綿と続いていく。地域社会全体が教育
     力と経済力と福祉力のバランスのとれたものであるべきであろう。そのような地域社会づくりのことを「むらまちづく り」
     と名づけた。
 (2)むらまちづくり:村や街は私たち人間の「いのち」の入れもの。むかしむかしあるところにあったかもしれない村よ
     りも,街よりも,もっと住みやすいこれからの地域社会を「むらまち」と呼びたい。赤ちゃんからお年寄りまで,みんな
     の「いのち」が輝く「むらまち」。人間・社会・自然が調和して,共生できる「いのち」の種類が豊富な「むらまち」。力を
     あわせて「むらまちづくり」を目指したい。
 (3)ペア校区むらまちづくり:都市の校区と農村の校区がペアになって「むらまちづくり」を追求すれば実現可能では
     なかろうか。厚生省の食生活改善運動や農林水産省のリフレッシュビレッジ構想なども土の健康,食の健康から人
     間の健康,社会の健康を実現していこうとするものであろう。かつて国を守るために兵役の義務があった。「この地
     球を生命を育む星として永続させたい」この人類共通の目標を実現するために,これからの地球人には自然と共生
     する農林水産活動に全員が自ら従事する義務が必要になってくるのではなかろうか。
 (4)人類社会の未来:もし人類社会が滅亡しないで,続いたとしたら,百年後,千年後はどのようなものになっている
     であろうか。二十世紀は世界的戦国時代であった。地球的調和時代の永続を期待したい。
      まず2つの校区の有志が協力して,小学生からお年寄りまでが人生80年のうちの一定期間一次産業に従事するこ
     とを始めてみたらどうであろうか。それが身近な校区民全体のものとなり,鹿児島県民に広がり日本中に広がり,世
     界中に広がって,いつの日か地球的調和時代が実現していることを期待できるのではなかろうか。
                                                                                                  (以上が発表した原稿である。)
甲突川を水の飲める川として後世に残したい
 内村鑑三著,後世への最大遺物,デンマルク国の話が岩波文庫に入っている。解説まで含めて111頁の通読しや
すい小さな本である。その18頁に天文学者ハーシェルが20歳の青年であった頃の言葉が引用されている。「わが愛
する友よ,われわれが死ぬときには,われわれが生まれたときより世の中を少しなりともよくして往こうではないか」
と彼の友人に語ったそうである。
 この地球を生命を育む星として永続きさせたい,この人類共通の願いを実現するために,私たちの地域の努力目
標を「甲突川を水の飲める川として後世に残したい」としたらどうだろう。流域の森の健康,土の健康,水の健康を目
指すことになる。海の健康,空気の健康にも波及していくであろう。人間・社会・自然が調和し,共生していく道を求
めることになる。プロシアとの戦いに敗れ,その領土の半分を奪われたが,国内の荒地に植林して失った以上の富
を得た,という内村鑑三の「デンマルク国の話」が参考になる。
郡山「中学校区」と甲南「中学校区」が協力して「むらまちづくり」を
 郡山中学校区は甲突川の源流。まず郡山中学校区と甲南中学校区が協力して,子供たちの健康,人間の健康,
社会の健康,自然の健康すなわち地球の健康の実現を目指して歩き始めれば,必ずやひろい意味の健康への道
が開けていくであろう。そう思われてならない。
小さな光になろう
 一人がみんなのために,みんなが一人のために,暗いと言わずに,自ら小さな光になろう。小さな光が集まって,
大きく広がる,健康づくり・むらまちづくり。さあ歩き始めよう,歩き続けていこう,ひろい意味の健康への道を求めて。
                                                        (甲南中学校創立五十周年記念誌平成10年2月7日印刷発行より転載)
                                         
   鹿児島市立甲南中学校には,本会より「学校保健の向上に関する事業の助成」を行っている。
 テーマ:中学生の心と体を健康に育む学校づくり,家庭づくり,地域社会づくりの実践的研究(平成9,10,11年度)
 テーマ:甲突川流域の人間・社会・自然の健康づくりの中で,子供たちの心と体を健康に育む実践的研究(平成12,13年度)
東洋医学的健康づくりの実践的研究