医師会とは何かを哲学すべき時 |
ー 鹿児島市医師会は、いま何を目指し、何をすべきか ー |
鹿児島県医師会代議員 納 利一 (70歳) |
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平成21年10月29日、鹿児島市内のホテルで鹿児島市医師会中央区会が開催された。 |
担当理事お2人が登壇され、鹿児島市医師会の現状と将来計画についてお話しされた。 |
役員の先生方が懸命に御努力下さっているお姿に頭が下がる思いであった。 |
お話を聴きながら医師会とは何か、医療とは何か、病院とは何か、診療所とは何か、 |
医師とは何かなどなど考えさせられた。開業医とは何か、勤務医とは何か。鹿児島市 |
医師会は、いま何を目指し何をすべきか。 |
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看護師養成の過去、現在、未来 |
父が小さな医院を開業したのは終戦前の昭和18年であった。医師である父と無資格 |
の母とお手伝いさんで小さな医院がスタートした。医師の手伝いをするにも資格がいる |
ことになり、母は簡単な講習を受けて看護婦免許をもらった。お手伝いさんたちを午後 |
や夜間に医師会が集めて開業医が講師になって始まったのが医師会立の看護学校で |
あった。先日来院した患者さんが看護学校で父の授業を受けたことをなつかしそうに話 |
してくれた。私も一時期講師を務めさせてもらった。若い医療人に自分の思いが伝わっ |
ていくのが楽しみであった。 |
その後公立や私立の看護師養成施設が多数出来て、医師会立看護学校の役割りが |
終った。 |
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臨床検査の過去、現在、未来 |
父は内科医であったが、生化学教室で研究していたことがあったため、生化学検査 |
なども自分で行っていた。民間の検査センターができてからは検体を出すだけで結果 |
が出るようになった。しかし臨床所見と検査結果が一致しなかったことがあり、民間の |
検査センターの精度が問題になった。臨床検査は精度が生命である。精度の高い検 |
査センターを医師会で造ろう、この医師会員の思いが形になったのが鹿児島市医師 |
会検査センターである。今でも高い精度を誇っている。 |
医師会の精度を目標に民間の検査センターの精度も格段に向上してきた。医師会 |
員で民間の検査センターを利用する人も出てきた。数10年後までには医師会検査セ |
ンターもその役割を終るのではなかろうか。 |
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診療所、病院の過去、現在、未来 |
戦争が終わり、出征していた軍医さんたちが復員してこられた。鹿児島市に開業医 |
が多かったのは鹿児島市出身の軍医が多かったのもその理由の一つであろう。個々 |
の診療所ではできないことを協力して行なうための核になる病院を造りたい。この思 |
いが結実したのが鹿児島市医師会病院である。病診連携、病々連携の核となって医 |
療の向上に貢献している。 |
鹿児島市医師会病院に先導されて、多くの病院が病々連携、病診連携に力を入れ |
るようになってきた。数10年後には医師会病院には全体の調整役だけが残り、具体 |
的な診療行為はすべて他の病院が行なうようになっているかもしれない。鹿児島の医 |
療をオーケストラにたとえると、その指揮者の役が残るであろう。 |
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老後の安心の核づくりを |
医療の目的は人類を健康に永続させることであろう。医師は医療チームのリーダー |
である。医師会は医師の集まりである。医師会が、いま何を目指し何をするかで人類 |
の運命が決まるとも言えよう。 |
鹿児島市医師会は医療の向上のために看護学校、検査センター、医師会病院を成 |
功させてきた。次に医師会がやるべき事業は何か。自殺者が多発する不安の時代。 |
鹿児島市医師会は市民の健康と安全と安心を目標に老後の安心の核づくりを先導す |
る施設をつくったらどうであろうか。それが鹿児島市内に普及し、日本中に、さらに世 |
界中に普及し、人類社会を健康に永続させる起点になるようなモデル事業を始めたら |
どうであろうか。 |
終わり良ければすべてよし、老後の安心、病んでも安心、認知症になっても安心、最 |
期の安心、その後も安心な地域社会づくりのモデルがドイツのベーテルにあるそうで |
ある。鹿児島市を日本のベーテルにしたいものである。 |
ちなみに「老後の安心の核」、「むらまちづくり」、「かけはしの宿」、「鹿児島市を日本 |
のベーテルに」、「地球的調和時代」などのキーワードで検索するとヤフーやグーグル |
で関連の情報がヒットする。 |
人の健康は心と体と気の調和。人間の健康は社会の健康、自然の健康すなわち地 |
球の健康の中にある。 |
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この文章を 2009(平成21)年11月6日 鹿児島市医報 に投稿した。 |
鹿児島市医報 第48巻 第12号(通巻574号)2009(平成21)年11月20日発行 に掲載された。 |
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東洋医学的健康づくりの実践的研究 |
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