わが生涯の記念に植樹を |
ー後世に残そう清流をー |
内科医 納 利 一 (66歳) |
世の中だれもが、かけがえのない一人のはず。自分もその1人でありたい。人 |
生50年は通りすぎた。あと100年たっても200才にはなれない。そのうち「わが生 |
涯」は完結する。さて、これからどうすればよいか。 |
このようなことを考えるとき手にしたくなる一冊の本が内村鑑三著「後世への |
最大遺物」(岩波文庫)である。まず天文学者ハーシェルが20才の青年であった |
頃の言葉が引用されている。「わが愛する友よ、われわれが死ぬときには、われ |
われが生まれたときより世の中を少しなりともよくして住こうではないか」と友 |
人に語ったそうである。 |
そして内村鑑三はわれわれが50年の生命を托したこの美しい地球、この美しい国、 |
このわれわれを育ててくれた山や河、われわれはこれに何も残さずに死んでしま |
いたくない、何かこの世に記念物を残して往きたい。何を残したらよいか。と問 |
いかけている。 |
お金を残したらどうか。お金を残して世のため人のため活用してもらう。これ |
もよかろう。 |
事業を残したらどうか。 |
世のため人のためになる事業を起し、それを残したらどうか。それもよかろう。 |
思想を残したらどうか。学校の先生になって、よい思想を子供達の心の中に残 |
したい。文学者になって、哲学者になって、本を書いて思想を後世に残したい。それ |
もよかろう。 |
事業家にもなれず、金を溜めることも出来ず、本を書くこともできず、ものを |
教えることもできない。そうすれば私は無用の人間として消えてしまわなければ |
ならないか。そうではない。「誰にでも残すことのできる最大遺物があると思う。 |
それは勇ましい高尚なる生涯である。」と述べている。後世への最大遺物は「わ |
が生涯」そのものである。 |
われわれに後世に遺すものは何もなくとも、われわれに後世の人にこれぞとい |
って覚えられるべきものはなにもなくとも、アノ人はこの世の中に活きているあいだ |
は真面目なる生涯を送った人である、と言われるだけのことを後世の人に残した |
いと思います。内村鑑三は講演の最後をこう結んでいる。 |
これが今から112年前、明治27年、当時33才であった内村鑑三の言葉である。 |
その後、環境問題が浮上した。「まじめなる生涯」に加えて植林、植樹に心が |
け水源の森を育て、後世に清流を残すのもよいのではなかろうか。 |
第6回甲突川の集いで採択された「甲突川健康宣言」が碑となり、甲南中の校庭 |
に建立された。宣言の思いを実現していくための「甲突川健康基金」が鹿児島県 |
民総合保健センターに発足する。基金の最初の事業が植林、植樹を奨励すること |
である。第9回の集いで「甲突川記念樹友の会」と「甲突川記念樹案内タクシー」 |
が提案された。関係者の好意的な協力で記念樹の植樹とその管理が可能な組織が |
出来つつある。よい組織となり永続していくことを願いたい。 |
私個人としてもこの組織のお世話になりたいと思っている。今まで生かされて |
きたことに対する感謝の気持ちとこれからの人生への思いをこめて、「わが生涯 |
の記念樹」を植えさせてもらいたい。森の緑に川は清流。その木が自分の死後も |
後世の人々に清流を残すための一助になちつづけてくれることであろう。そう思 |
うとき、そこから老後の安心、最期の安心、その後の安心、さらに明日の人間、社会、 |
自然の健康への道が開けていくような気がしてくる。 |
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鹿児島県医師会報 2006年 平成18年8月号より転載 |
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もりづくり甲突川 |
甲突川森の記念樹 |
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