第34回三方限古典塾(09.8.20) |
佐藤 一斉(1772〜1859)「言志四録(その27)」 |
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1 事を做すに誠意に非ざれば、則ち凡百成らず。疾に当たりて医を請うが如きも |
亦然り。既に托するに死生を以てす。必ず当に一に其の言を信じて、疑惑を生ぜざ |
るべし。是くの如くば我れの誠意、医人と感孚して一と為り、而して薬も亦自ずか |
ら霊有らん。是は則ち誠の感応なり。 |
若し或いは日を弥り久しきを経て、未だ効験を得ずして、他の医を請わんと欲す |
るにも、亦当に能く前医と謀り、之をして其の知る所を挙げて、与に共に虚心もて |
商議せしむべくして可なり。是くの如くにして効無くんば則ち命なり。疑惑すべき |
に非ず。 言志晩録271 |
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(意訳)事をなすには、私利私欲の心がない誠がなければ、どんなことでも成就はしない。 |
病気になって医者を頼むのも同じことである。すでに頼んで生死を任せた以上は、その |
医者の言葉を信じて疑わないことだ。そうすると、自分の誠意と医者の誠意とが深く感じ |
あって一つになり、効果も人智では図りがたい霊験あらたかなものとなる。これを事に |
触れて心が感じ動く誠の感応という。 |
もし、長くなるのに効き目がなくて他の医者に診せたいときも、よく前の医者と相談し、 |
分かっていることをよく話し合ってもらい、私心を捨てて相談してもらうことだ。そのよ |
うにしても効き目がなければ、それは天命であって疑念を抱くべきではない。 |
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(余説)いつの世でも「誠実」と「信頼」が人間関係の基本であってほしいものです。一斉先生 |
の時代から百五十年経った今、医療の世界は何が変わり何が変わっていないのか、 |
何は変わるべきでないのか。考えてみたいものです。「医は仁術なり」といいますが、 |
医師にとっても医用技術の進歩や人の考え方など難し い時代になっていると聞き |
及びます。 |
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胡寅の「読史管見」に「人事を尽くして天命を待つ」があります。人としてできる限り |
のことを実行しその結果は天の意志に任せる。がんばりすぎず、しかもあきらめず、 |
自分 としてやれること、やるべきことをきちんとして生きるというようなことでしょうか。 |
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毎日新聞特集「がんを生きる」(09.6.21~25)は、ジャーナリスト鳥越俊太郎さん(69)が、 |
直腸ガン、肺、肝臓など4年に4回の手術と共生しつつニュースの職人として現場に立つ |
姿を追っています。 私の心に響いた鳥越さんの言葉から。 |
「考え方や感じ方が深くなった。見るもの聞くもの、すべてが心に染み込んでくる。が |
んは必ずしも敵ではない。」 |
「好きなことをやって、死ぬとき、後悔しないよう生きたい。」 |
「自分が置かれている境遇の中で、精一杯生きる。」 |
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2 人家平常托する所の医人は、精選せざる可からず。既に之れを托すれば、則ち信 |
じて之れを聞いて可なり。人の病は、症に軽重有り。効に遅速有り。仮令弥留し |
て効無きも、亦疑いを容る可からず。則ち医人の心を尽くすも、亦必ず他に倍せん。 |
是れ医を用うるの道にして、則ち人を用うるの道然るなり。 |
或いは劇症大患に値い、傍人故旧往往にして他医を勧むる有るも、亦濫に聴く |
可からず。医人の技倆、多くは前案を飜す。幸いに中れば則ち可なり。不らざれば |
則ち卻って薬に因って病を醸し、太だ不可なり。究に之れを命を知らずと謂う。 |
言志晩録272 |
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(意訳)誰でも日頃から頼む医者はよく選ばないといけない。そして一度任せたらその医者 |
を信じることだ。人の病気には軽い重いがあり薬の効き方にも遅い早いがある。仮に危篤 |
の状態が続いて、治療の効果が見えなくてもみだりに疑ってはいけない。そうすれば医者 |
の努力も他家に倍する。これは医者を用いる道であるが、人を用いる道でもある。 |
よくあることだが、大病に罹って、友人親戚が他の医者を勧めることがあっても、正当 |
な理由もなく聞いてはいけない。なぜなら医者の技術は、多くの場合は前の医者の処方を |
変えるものである。それが当ればよいが、そうでなければかえって病をつくりだしてよく |
ない。これは、天の意志というものを知らないということだ。 |
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(余説)「医者の選択も寿命のうち」という名言もあります。それでも医者を選べる社会、選 |
べる時代というのは有り難いことではないかとも考えます。 |
現代は国民総医学評論家の様相を呈しています。「インフォームドコンセント」の考え方 |
も大切だとは思いますが、患者がその知識を振り回し権利を主張し過ぎるあまり、医者が |
慎重になりすぎてしまっては、治るものも治らないことにならないかと危惧します。 |
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