第29回三方限古典塾(09.3.19)
   佐藤 一斉(1772~1859)「言志四録 (その22)」
1 甲冑(かっちゅう)(はずかし)()からずの色あり。人は礼譲(れいじょう)を服して以て甲冑と為さば、誰れ
  か()えて之を辱めん。                   言志晩録199
(意訳)鎧をつけた武士は、侮り難い威厳を感じさせる。同じように礼儀に篤く人にへり
    くだるような人には、誰であっても辱めたり侮ったりはできないものだ。
(余説)辞書によると「礼」とは、社会生活をする上で円滑な人間関係や秩序の維持に必
    要な倫理的規範の総称、人として行うべき行動様式全般を包括するとあります。
    論語の第1学而「学んで時に之れを習う、亦た説ばしからず乎」の「学んで」とは、
    宮崎市定「論語の新研究」によると『礼を学ぶ』ことだそうです。
    礼記「礼儀は人の大端なり」、左伝「礼は天の経なり、地の義なり、民の行なり」、亢
    倉子「楽は内を修める所以、礼は外を修める所以」など、各書で強調されてます。
2 太寵(たいちょう)は是れ太辱(たいじょく)(さん)にして、奇福は是れ奇禍(きか)()なり。事物は大抵七八(ぶん)
  以て極処(きょくしょ)と為せり。                                      言志晩録200
(意訳)上位の者から可愛がられ過ぎるのは、大きな辱めを受ける前兆である。常識から
    かけ離れたような幸福は、思いがけないわざわいを招く餌である。世の中の物事とは、
    大概は七八分位のところで極めて留めおくのがよいものだ。
(余説)貞観政要「嗜欲喜怒(しよくきど)の情は賢愚皆同じ。賢者は能く之を節して度に過ぎしめず。
    愚者は之を(ほしいまま)にして多く所を失うに至る。」
    礼記「(おご)りは長ずべからず。欲は(ほしいまま)にすべからず。志は満たすべからず。楽しみ
    は極むべからず。」
    菜根譚後「(ぶん)(あら)ざるの(さいわい)故無きの(えもの)は、造物の釣餌(ちょうじ)に非ずば、則ち人世の機阱(きせい)
    なり。此の処に眼を着くること高からずば、()の術中に堕ちざること(すくな)し。」など何れ
    も同じような戒めでしょう。
    寵は龍を屋内にかこって大切に養う意味。寵愛は、上の者が下の者を非常に可愛がる
    意。霰はあられは雪が降る前触れから「前兆」。機阱(きせい)とは仕掛けられた落とし穴
3 人(おのおの)(ぶん)有り。(まさ)に足るを知るべし。但だ講学(こうがく)(すなわ)(まさ)に足らざるを知るべ
  し。                           言志晩録202
(意訳)人には皆天から分け与えられた分がある。だから、身の程をわきまえてむやみに
    不満を持たないことだ。ただ、学問を研究することは、どこまで達してもまだ不十分だ
    という気持を持ち続けないといけない。
(余説)そうは言っても、自分の分け前や能力を限定しすぎず、また、過大視し過ぎない
    ことも自己や社会の発展発達にはある程度は必要だとも思います。何れにしても、物や
    財や地位を際限なく貪り続けるのは最も痛ましい罪過ではあります。
    学問や技量を高めるには終わりはなく、高まるほど遠くまで広く見えてくるものだと
    先人は教えています。
    分とは、分け与えられたもの、能力、立場や身分、分際、身の程などを意味します。
    老子「禍は足るを知らざるより大なるは()く、(とが)は得るを欲するより(いたま)きは莫し。
    故に足るを知るの足るは常に足る。」
    礼記「学びて然る後に足らざるを知り、教えて然る後に(足らざるの)苦しむを知る」
    「玉琢かざれば器を成さず。人学ばざれば道を知らず」
    言志晩録「少にして学べば、則ち壮にして為すこと有り。壮にして学べば、則ち老い
    て衰えず。老いて学べば、則ち死して朽ちず。」
4 艱難(かんなん)()く人の心を(かと)うす。故に共に艱難を()し者は、交わりを結ぶも亦密
  にして、(つい)に相忘るるに(あた)わず。「糟糠(そうこう)の妻は(どう)を下さず」とは、(また)此の(るい)なり。
                                              言志晩録205
(意訳)災難や困難は人の心を強く堅くする。だから苦労を共にしてきた者同志は、その
    結びつきも緊密であり、いつまでもお互いに忘れることはできない。「貧しい頃から共
    に苦労してきた妻は、出世した後も離縁はできない。」というのもこの類である。
(余説)十八史略「貧賤の交わりは忘るべからず。糟糠の妻は堂より下さず。」(糟は酒か
    す、糠は米ぬか、粗末な食べ物の意)
    孟子「天の将に大任を是の人に降さんとするや、必ず先ず其の心志を苦しめ、その筋
    骨を苦しめ、其の体膚を餓えしめ、其の身を空乏にし、其の成さんとする所に払乱せし
    む。」(払乱とは、正常な状態を乱して混乱させること。)
     西郷隆盛の漢詩「幾歴辛酸志始堅 丈夫玉砕愧甎全」「耐雪梅花麗 経霜楓葉丹」、南
    洲翁遺訓の「道を行ふ者は、固より困厄に逢ふものなれば、如何なる艱難の地に立つと
    も、事の成否の死生(など)に、少しも関係せぬもの也。」もあります。
     中国春秋時代(孔子の頃)、斉の管仲と鮑叔の故事「管鮑貧時の交わり」は、貧しい
    時の友好を中国最初の大政治家・名宰相となるまで保持したと教えています。
     何れも「艱難、汝を玉にす」ということですが、「人は悲しさや苦しさを共有するこ
    とはできるが、喜びや楽しさの共有は難しい。」と言う人もいました。