第27回三方限古典塾(09.1.15)
佐藤 一斉(1772〜1859)「言志四録 (その20)」
1 人の一生には、順境有り、逆境有り。消長の(すう)、怪しむ()き者無し。余、又自ら(けん)
るに、順中の逆有り、逆中の順有り。(よろ)しく其の逆に処して、()えて易心(いしん)を生ぜず、其
の順に居りて、()えて惰心(だしん)(おこ)さざるべし。()だ一の敬の字、(もっ)て逆順を貫けば可なり。
                                                                                      言志晩録184
(意訳)人の一生には、恵まれた順調な境遇もあれば苦労の多い不遇な境遇もあります。
これは天の巡り合わせであり、何も怪しむことはありません。また考えてみると、順境
の中に逆境があり、逆境の中にも順境があります。
ですから逆境にあってもやけを起こさず、順境でも怠けないことです。いつどんな時
であも自己の言動を慎み、相手を尊敬する「敬」の精神を一貫させることです。
(余説)現実には一生を順逆どちらかのままのごとく暮らす人もあり、悲惨な状況もあり
ます。それをあるがままに見ることから逃避してはならないと考えます。
暗闇の一燈や炎天下の木陰など、苦しい中でも小さい幸せに喜びを感じるのが人間で
す。また順逆何れにあっても、それぞれの中にはそれなりの逆順があるものです。
菜根譚後集「天運の寒暑は避け易く、人生の炎涼は除き難し。」
古詩源 「寒暑往来あり。功名安んぞ留むべけんや。」(寒さの後には暑さ、暑さの後に
は寒さがくるのが自然の理。功名だけを我がものに留めようとしても難しい。)
文章規範「盛衰の理は天命と()うと(いえど)も、()に人事に非ざらんや。」
2 富人を(うらや)むこと(なか)れ。()れ今の富は、(いず)くんぞ其の後の貧を招かざるを知らんや。
貧人を(あなど)ること勿れ。()れ今の貧は、安くんぞ其の後の富を(たい)せざるを知らんや。畢竟(ひっきょう)
天定なれば、各々其の分に安んじて可なり。             言志晩録190
(意訳)金持ちなど恵まれている人を見て羨むことはありません。その今の富が後に貧乏
を招かないものだと、どうしてわかるでしょうか。貧しいなど恵まれない人を軽蔑して
はなりません。今の貧しさが後の富のもとでないと、どうして分かるでしょうか。
要するにこれらは天が与えた定めですから、おかれた立場やポスト、責任と能力に応
じて最善を尽くすことです。
(余説)「隣の花は赤い」とか「隣の芝生はいつも青い」とも言います。また、ごく最近
でも借金と詐欺で逮捕された作詞作曲家もありました。実際の人生は不公平です。運命
にも能力にも富にも差があるのが現実です。それにしても「雨の日には雨に日の生き方
がある」と聞きます。今の貧富を後にどう活かすかが肝心ではないでしょうか。
昨今諸般厳しい世相の中で、世界レベルでみるとそれでも日本は、水・食べ物・住む
家・教育・福祉・環境・治安・平和極めて恵まれた国ではないでしょうか。
「月満つれば則ち欠くる」が世の習いです。「貧賤に処して(おそ)れず。以て富貴なるべ
し。」とか「君子は其の位に素して行い、其の外を願わず」との先哲の教えもあります。
自らの心を戒め常に謙虚に生きたいものですね。
3 天下の人皆同胞たり。我れ(まさ)に兄弟の(そう)()くべし。天下の人皆賓客(ひんかく)たり。我れ当に
主人の相を著くべし。兄弟の相は愛なり。主人の相は敬なり。     言志晩録185
(意訳)世の人はみんな親しい兄弟と同じようなものですから、当然兄弟だと考えて遇す
ることです。また世の人はみんな大切なお客のようなものですから、自分をその主人と
考えて処することです。兄弟の在るべき姿は愛着を感じ愛おしむこと、主人としての在
るべき姿は自己の言動を慎み相手を尊敬することです。
(余説)人間はそのように単純平易ではない側面もあることを認識するのも必要なことで
す。人がよって立つ現実や人の心には常に矛盾が存在します。人間は理性的で賢いと同
時に動物的で愚かしい部分もあり、仏にも鬼にもなれます。
アフリカのルワンダで1990年に起きた部族間対立による100万人とも言われる大虐
殺や、民族と宗教の深く長い対立に根ざしながら現在も続いているイスラエル軍による
ガザ地区への攻撃などの例がその現実です。
共存と敵対という矛盾の上に成り立っている人間の存在というものを認識した上で、
少しでも高い次元へ向上しようとする精神を維持する努力が必要だと考えます。