第19回三方限古典塾(08.5.22) |
佐藤 一斉(1772~1859) 「言 志 四 録 (その12)」 |
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1. 「心躁(そう) なれば則ち動くこと妄(もう)、心蕩(とう) なれば則ち視ること浮(ふ)、心歉(けん) なれば |
則ち気餒(う) え、心忽(こつ) なれば則ち貌惰(かたちおこた) り、心傲(ごう) なれば則ち色矜(おご) る。」 |
昔人嘗(かつ) て此の言有りき。之を誦(しょう) して覚えず惕然(てきぜん) たり。 |
言志後録219 |
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(大意) 昔の人が「心が落ち着かないと行動がいい加減になる、心にしまりがないと視点が浮つく、 |
心に飽きたらぬものがあると気力が萎える、心をおろそかにすると顔つきがだらける人を、 |
見下し高ぶると表情が傲る。」と言っているが、私はこれを口にすると思わず心細くなり恐 |
れ入ってしまうことだ。 |
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(参考) ここでの昔人とは、中国明代の儒学者で陽明学を完成させた「王陽明」のことです。朱子 |
学の理気二元論に満足せず、心即理・知行合一(ちこうごういつ) ・致良知などを説きました。 |
この戒めは、心を調えて乱されない、心を引き締めて緊張感を保つ、分相応に足るを知る、 |
へりくだり譲ることなどの大切さを教えているのでしょう。 |
どうすればそのような心を身に付けることができるのか、そこが肝腎です。心そのも のは |
目に見えませんが、見える形で必ずどこかに現れるもののようです。 |
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2. 血気には老少有りて、志気には老少無し。老人の学を講ずるには、当(まさ) に益(ますます) 志 |
気を励まして、少壮の人に譲る可からざるべし。少壮の人は春秋富む。仮令(たとい) 今日学ばず |
とも、猶(な)お来日(らいじつ) の償(つぐな) う可き有るべし。老人には則ち真に来日無し。尤(もっと) |
も当に今日(こんにち)学ばずして来日有りと謂(い) うこと勿(なか) るべし。易(えき) に曰(い) える |
「缶(ふ) を鼓して歌わざるときは則ち大耋(だいてつ) の嗟(なげき) あり」とは、此れを謂(い) うなり。 |
言志後録243 |
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(大意) 体力の程度は老少で異なりますが、意欲や精神力は老少に区別はありません。 |
年を経てから学問をするには、心を奮い立たせながら若い人に負けないようにす |
べきです。若い人にはまだ年月が残されており、今日学ばずとも後日補うこともで |
きます。しかし年寄りにはそれがありません。易教でいう「今缶を打って歌わなけ |
れば、年寄りは嘆くこととなる」も、このことをいっているのでしょうか。 |
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(参考) 老いてしまうと体力や残された時間は若者には当然及びません。しかし老いには |
若者は持ち得ない「老い固有の価値や魅力」もあります。老いを立派に生き抜いた |
先人を見習いつつ「老いの宝」を得たいものです。そのような姿にあこがれつつ、 |
今日なすべきことできることを明日に延ばさずに、日々を大切に生きたいものです。 |
「明日ありと思うこころのあだ桜 夜半に嵐の吹かぬものかは」という歌もあります。 |
もっともこれは親鸞聖人が9歳のときに詠んだものと伝えられています。 |
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3. 孟子の三楽、第一の楽には親に事(つか) うるを説く。少年の時の事に似たり。第二の楽 |
には己を成すを説く。中年の時の事に似たり。第三の楽には物を成すを説く。老年の時の |
事に似たり。余自ら顧(おも) うに、齢已(よわいすで) に桑楡(そうゆ) なり。父母兄弟(けいてい) |
皆亡せり。何の楽か之れ有らんと。唯(た) だ自ら思察するに、我が身は則ち父母の遺体 |
にして、兄弟も亦同一気なれば、則ち我れ今自ら養い自ら慎み、虧(か) かず辱めずば、 |
即ち以て親に事うるに当つ可き歟(か) 。英才を教育するに至りては、固(も) と吾が能(よ) |
くし易きに非ず。然れども亦以て己を尽くさざる可けんや。独り恥じず愧(は) じざるは、 |
則ち止(た) だに中年の時の事なるのみにあらず、而も少より老に至るまで、一生の |
受用なれば、当に慎みて之を守り、夙夜諠(しゅくやわす) れざるべし。是くの如くば則ち |
三楽皆以て終身の事と為すべし。 |
言志後録244 |
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(大意) 孟子が「三楽」で説く第一は、親に仕えることで少年の楽しみのようです。第二は、 |
自己の修養を説いていますから中年の頃の楽しみでしょうか。第三は、人物を育て |
るで老年でのことでしょう。今自分を考えると、既に晩年となって父母兄弟も亡くなり、 |
何の楽しみがあるのだろうか。 |
考えてみると、この体は親が残してくれ兄弟も同様だから、体を大切に養い慎んで |
損なわなければ、親に仕えることになるのではないか。英才を育てることは、自分に |
よくできることではないが、できる限りは努めたいと思う。 |
ただ天にも人にも恥じることがないというのは、中年のみでなく少年から老年まで、 |
さらに早朝から夜遅くまで忘れずに慎むべきであり、こう考えると「三楽」は、生涯に |
わたって心すべきことです。 |
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(参考) 前回は孟子の「三戒」でしたが、今回は孟子「三楽」 |
①父母が健在で兄弟に事故がないこと。 |
②自ら反省して天や人に恥じることがないこと。 |
③天下の英才を得てこれを教育すること。 |
天下の王になることなど三楽には入らない。 |
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孟子には「恥ずることなきを之れ恥ずれば恥なし」など恥についていくつかあります。 |
また、言志耋録にも「恥ず可からざるを恥ずること勿れ。恥ずべきを恥じざること勿れ。」 |
とあります。 |
ところで真に恥ずべきは何でしょうか。例えば、少年では「志、礼節、謙譲」がないこと。 |
壮年は「生涯を貫く仕事、信念・信条」がないこと。老年では「自分の世界、宥恕の心、 |
知足の念、異見を聞く耳」がないこと。 |
恥を意味する漢字を調べました。耻、羞、慚、愧、辱、怍(さく) 、忸(じく) 、怩(じ) 、恧(じく) |
などそれぞれ微妙に意味が異なるようです。無恥(恥知らず)を意味する無慚無愧(むざんむき) |
もあります。 |
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