第17回三方限古典塾(08.3.13)
  佐藤 一斉(1772~1859)「言志四録 (その10)」
 静坐の功(こう) は、気を定め神(しん) を凝(こ) らし、以て『小学』の一段の工夫を補うに在り。要は須(すべか)
  く気の容(かたち) は粛(しゅく) 、口の容はし止(し) 、頭の容は直(ちょく) 、手の容は恭(きょう) にして、神を背に棲(す) ましめ、厳
  然として敬を持し、就(すなわ) ち自ら胸中多少の雑念、客慮(かくりょ) 、貨色、名利等の病根を伏蔵せるを搜出(そうしゅつ)
  して、以て之を掃蕩(そうとう) すべし。然らずして徒爾(とじ) に兀坐瞑目(こつざめいもく) して、頑空(がんくう) を養い成さば、気を定
  め神を凝(こら) すに似たりと雖(いえど) も、抑竟(そもそもつい) に何の益あらむ。             言志後録136
(大意) 静坐には気持を安定・精神を集中させ「小学」の教えを補う効果があります。呼吸
           を静かに整え、口は閉じ、姿勢を伸ばし、手をそろえて、心を背に置き敬いの心で、雑念妄
           想・金銭名誉利益など隠れている病根を探し出してすっかり除きなさい。ただ無意味にぼん
           やりと座って目を閉じ、頑なで虚ろな気持でいては何の益もありません。
(参考) 座禅やヨガ、気功など腹式呼吸を行い瞑想をすると、日常の騒がしさや試練から離
          れて満ち足りた気になり自分を見つめるホルモン「セロトニン」がでるそうです。曹洞宗の
          始祖「道元」の『正法眼蔵』坐禅儀にも同じような内容があります。 『小学』は中国・宋
          代に作られた幼童用の入門書で「天知 神知 我知 子知」(四知)などあります。
 学は自得(じとく) するを貴(たっと) ぶ。人徒(いたず) らに目を以(もっ) て字有るの書を読む。故に字に局して、通透す
 るを得ず。当(まさ) に心を以て字無きの書を読むべし。乃(すなわ) ち洞(どう) して自得する有らん。  言志後録 138
(大意) 学問は自分の心でさとることが大切です。ところが多くの人は、ただ目で文字を読
           むのみです。だから文字にとらわれてその奥に意味するものが見えないのです。自分の体験
          や心を活かして文字に表されていない道理を汲み取るべきです。
(参考) 禅語「不立文字」は、仏の心は文字や言葉によらず心から心へ伝えられるの意です。
            また、書物はそのまま鵜呑みにせず自分で咀嚼し、繰り返し読むのが大切だと思います。
 読書も亦(また) 心学なり。必ず寧静(ねいせい) を以てして、躁心(そうしん) を以てする勿(なか) れ。必ず沈実(ちんじつ) を以てして、
   浮心(ふしん) を以てする勿れ。必ず精深(せいしん) を以てして、粗心を以てする勿れ。必ず荘敬(そうけい) を以てして、慢心
 を以てする勿れ。孟子は読書を以て尚友と為せり。故に経籍(けいせき) を読むは、即ち是れ厳師父兄
 の訓(おしえ) を聴くなり。史子を読むも、亦即ち明君、賢相、英雄、豪傑と相周旋(あいしゅうせん) するなり。其
 れ其の心を清明にして以て之と対越(たいえつ) せざる可(べ) けんや。                      言志後録144
(大意) 読書は心を修養します。その際、心を落ち着かせいらいらさせない、浮ついた心で
           いない、深く読んでいい加減にしない、敬う心でいてうぬぼれないことです。孟子は「書の
           昔の賢人」を友としました。四書五経などは、先生や親の教えと同じです。史書や諸子百家
           を読むのも、明君、賢相、英雄、豪傑と交わるのと同じです。心を清く明らかにして書と向
           き合い、書を越えるような気概を持ちたいものです。
 草木の萌芽(ほうが) は、必ず移植して之を培養すれば、乃ち能(よ) く暢茂条達(ちょうもじょうたつ) す。子弟の業(ぎょう) に於け
 るも亦然り。必ず之をして師に他邦(たほう) に就きて其の橐籥(たくやく) に資せしめ、然る後に成る有り。膝下(しっか)
 に碌碌(ろくろく) し、郷曲(きょうきょく) に区区(くく) たらば、豈(あ) に暢茂条達の望有らんや。     言志後録146
(大意) 植物は植え替えて育てると芽や枝がよく伸び茂ります。年少者の学業や修行も同じ
            です。余所に出して鍛錬させると何か事を成し遂げることができます。いつまでも父母の元
            でゴロゴロし郷里でコセコセしていては、自己を成長発達させることはできません。
(参考) 昔から商家や職人の跡継ぎは、他家へ奉公に出し他人の水を味わわせ修行させまし た。
           留学も同じで「可愛い子には旅をさせよ」です。また、環境を改めることで、古い根や 痛ん
           だを 除いて新しい発根を促すように古い習慣を改めることにもなります。
 草木の移植には、必ず其の時有り。培養には又其の度あり。太(はなは) だ早きこと勿れ。太だ遅
   きこと勿れ。多きに過ぐること勿れ。少きに過ぐること勿れ。子弟の教育も亦然り。       言志後録147
(大意) 植物を植え替えるには適切なタイミングがあり、施肥や土寄せにも適切な度合いが
            あります。それが早すぎても遅すぎても、多すぎても少なすぎてもいけません。このことは、
            年少者への教育であっても同じです。
(参考) 禅語「そつたく?啄同時」は、ふ化直前のひな鳥が卵を内側からつつく「?」と、親鳥が外
            側からつついてひなのふ化を助ける「啄」とが「同時・同処」であるとの教えです。その時
           でなければならない発達課題があります。
            寒蘭を育てるに「肥料をやって失敗した人は多いが、成功した人は少ない」と聞きます。
           物事はすべて中庸、ほどほど、ほどよい加減・塩梅(按排・按配)です。