第16回三方限古典塾(08.2.21)
  佐藤 一斉(1772〜1859)  「言志四録 (その9)」
1 名利(めいり) は、固(も) と悪しきに非ず。但だ己私(こし) の累(わずら) わす所と為る可からず。之を愛好すと雖(いえど) も、
  亦自から恰好(かっこう) の中(ちゅう) を得る処有り。則ち天理の当然なり。凡(およ) そ人情は愛好す可き者何ぞ限ら
  む。而(しか) れども其の間にも亦小大有り。軽重あり。能く之れを権衡(けんこう) して、斯(ここ) に其の中を得る
  は、則ち天理の在る所なり。人只だ己私の累(るい) を為すを怕(おそ) るるのみ。名利に豈(あ) に果して人に累せんや。
                                                                  言志後録 122
 (大意) 人が名誉や利益を求めるのは本来は悪いことではありません。よくないのはそれを
      自分のためだけに考えることです。何事にも「ほどほど」があり、それが天の道理に適うこ
      とです。人が名利を欲するのには限りがありません。しかしそこには大小・軽重の限度があ
      りそのバランスがとれていると、人に災いを及ぼすことはないはずです。
 (参考) おのが利を考えるは悪、他者の利を考えるは善、過去の歴史を鑑み、現在の状況を
      思料し、もって未来の他者に利をもたらすこと、それが人としての上善である。
                                浅田次郎「中原の虹C」(講談社)から
     このことは「甲突川健康宣言」の趣旨とも一致するものではないでしょうか。
2 知(ち) は是(こ) れ行(こう) の主宰(しゅさい) にして、乾道(けんどう) なり。行は是れ知の流行にして、坤道(こんどう) なり。
  合して以て体躯(たいく) を成せば則ち知行なり。是れ二にして一、一にして二なり。              言志後録 127
 (大意) 智恵は行動を支配し天の道です。行いは智恵が表出したもので地の道です。知と行
      とは一つになり私たちの体を成しており、分けることはできません。
 (参考) 中国明代の陽明学で重視した「知行合一」の思想です。知ること・思うことと行う
      こととは同じという考えは、西郷隆盛はじめ薩摩藩でも古来大切にされてきました。日新公
      いろは歌「いにしへの 道を聞きても唱へても わが行ひにせずばかひなし」も同じです。
      今の世相では、最もよく知るはずの人がその反対をしていることが多いですね。
3 孔子の九思(きゅうし)、曾氏(そうし) の三省(さんせい)、事有る時は是れを以て省察(せいさつ) し、事無き時は
  是を以て存養(そんよう) し、以て静坐の工夫と為す可し。                               言志後録 128
 (大意) 論語にある「九思」「三省」は、何か事ある時にはこれで自分の身を振り返り、何
      もないときにはこれで自分の心を養い、自己修養の工夫としたいものです。
      九思 「視は明を思い、聴は聡を思い、色は温を思い、貌は恭を思い、言は忠を思い、
      事は敬を思い、疑は問を思い、忿には難を思い、得ることを見ては義を思う」(論語)
      三省 我れ日に三度我が身を省みる「人の為めに謀りて忠ならざるか、朋友と交わりて
      信ならざるか、伝えられて習わざるか(習わざるを伝うるか)」(論語)
 (参考) 折りにふれて我が身を振り返り己を知ることの大切さは、多くの先哲が教えるとこ
      ろです。特に口にする言葉は心の中から湧き出るものであり、心したいですね。
4 静を好み動を厭(いと) う、之を懦(だ) と謂(い) い、動を好み静を厭う、之を躁(そう) と謂う。躁は物を鎮(しず) 
  む能(あた) わず。懦は事を了(りょう) する能わず。唯(た) だ敬以て動静を貫き、躁ならず懦ならず。
  然る後能く物を鎮め事を了す。                                             言志後録 131
 (大意) 静を好んで動を嫌う者は「面倒がり」、その逆は「あわて者」です。どちらも物事
      を治め成し遂げることはできません。自分を慎み静にも動にも偏らずあわてず臆しない人が、
      物事を治め成し遂げることができます。
 (参考) 何事も「ほどほど・バランス感覚」の大切さを述べています。日本人の国民性の一
      つに作家阿川弘之さんは「軽躁」をあげています。武田信玄はその遺訓で主将の陥りやすい
      失観として「軽躁なるものを勇豪とみること」と書いています。
5 書を読むには、宜しく澄心端座(ちょうしんたんざ) して寛(ゆる) く意志を著(つ) くべし。乃ち得ること有りと為す。
  五行並び下るとは、何ぞ其の心の忙(ぼう) なるや。文を作るには、宜しく意を命じ言を立て、一字も、
  苟(かりそめ) にせざるべし。乃ち瑕(きず) 無しと為す。千言立ちどころに成るとは、何ぞ其の言の易(い)
  なるや。学者其れいたず徒らにひん顰に才人になら効いて、以て忙と易とにおちい陥ること勿れ。     言志後録 135
 (大意) 読書は気持を澄ませ礼儀正しく座り心をゆったりさせると、必ず得るものがあります。
      一度に5行も読むとは何と心忙しいことでしょう。文を作るには構想をしっかりと練って
      一字もいい加減にしないことです。そうすればよい文章が書けます。千字がすぐに書ける 
      とは何と安易なことでしょう。学ぶ者は徒に才人のまねをしないことです。
 (参考) 「せいし西施のひん顰になら効う」(荘子)「美人で有名な西施が心臓病の痛みで顔をしかめる姿を
       醜女が真似たところ見た人が逃げた」と安易な真似ることを戒めています。また、日常の言
       葉にも「一手間」をかけることを心がけたいものです。