第14回三方限古典塾(07.12.20) |
佐藤 一斉 (1772~1859) 「言志四録 (その7)」 |
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1 気魄(きはく) の人の認めて以て中と為す者は、固(も) と過ぎたり。而(しか) も其の認めて以て小過と為す者は、 |
則ち宛(あたか) も是れ狂人の態(たい) なり。愞弱(ぜんじゃく) の人の認めて以て中と為す者は、固(も) と及ばず |
して、而も其の認めて以て及ばずと為す者は、則ち殆ど是れ酔倒(すいとう) の状なり。 言志後録30 |
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(大意) 気の強い人が「自分が言動は普通の程度であり、ちょうどよい加減のはずだ」と思う |
ようなときは、言うまでもなくやり過ぎになっています。「ちょっと過ぎたかな」と思うよ |
うなことは、さながら異常なほどになっています。一方、気の弱い憶病な人が「ちょうど |
よい加減」と思うようなことはもちろん不十分です。その人が「ちょっと足りなかったかな」 |
と思うときは、酔って倒れているほどでほとんど何の役にもたちません。 |
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(参考)西洋哲学の元祖ソクラテスの言葉「汝自身を知れ」のように、人は自分自身の姿や |
特徴をしっかりと踏まえた上で行動することが大切なのでしょう。しかし、自分にとって |
一 番理解しにくいのは、自分自身かも知れずなかなか難しいことです。吉田兼好も |
徒然草134 段で「己を知る人こそ道理の分かる人だ。」と書いています。 |
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2 凡(およ) そ大硬事(だいこうじ) に遇わば、急心もて剖決(ぼうけつ) するを消(もち) いざれ。須(すべから) |
らく姑(しばら) く之を舎(お) くべし。一夜を宿し、枕上(ちんじょう) に於て粗商量(ほぼしょうりょう) すること |
一半にして、思(おもい) を齎(もた)らして寝(い) ね、翌旦の清明なる時に及んで、続きて之を思惟(しい) |
すれば、則ち恍然(こうぜん) として一条路(じょうろ)を見、就即(すなわち) 義理自然に湊泊(そうはく) せん。 |
然る後に徐に之を区処(くしょ) せば、大概錯悞(たいがいさくご) を致さず。
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(大意) どんなことでも、大きなトラブルに遇ったときは、急いで判断して解決しようとしてはなり |
ません。一晩寝て大まかに考え、翌朝気分がすっきりとしているときにしっかりと考えれ |
ば、ぼんやりと見えていた中から一つの筋道がまとまって見えてきます。その後で判断 |
し処理すれば、ほとんど間違いはありません。 |
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(参考) 一方、現代の「危機管理」の場合、対応の一瞬の遅れが取り返しのつかない命取りにな |
るような即時・即決の決断と対応が必要な場合も多いですね。そこの区別と判断こそが |
肝要ではないでしょうか。 |
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3 人の一生の履歴は、幼時と老後とを除けば、概ね四五十年閒に過ぎず。其の聞見(ぶんけん) する所は、 |
殆(ほとんど) 一史だにも足らず。故に宜(よろ) しく歴代の史書を読むべし。上下(しょうか) 数千年の事迹(じせき)、 |
羅(つら) ねて胸臆(きょうおく) に在らば、亦快(またかい) たらざらんや。眼を著くる処は、最も人情事変の上に在れ。 48 |
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(大意) 人が一生の間に経験できることは、幼い頃と老後を除くと、だいたい4・50年に過ぎ |
ません。そこで見聞きできることは、ほとんど歴史の一部にも及びません。したがって、 |
いろいろな歴史書を読むことが大切です。古代からの数千年の出来事が念頭にあれば、 |
とても愉快なことでもあります。ただ歴史書を読むときには、当時の人の心の動きや出来 |
事の変化の様子に眼を付けることが大切です。 |
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(参考) 以前に文芸春秋が取ったアンケート「日本を見つめ直す最良の歴史書」で現代日本の |
誇る知識人の60人中6人が司馬遼太郎「坂の上の雲」を上げており、断然トップだった |
そうです。(文春文庫もあります。) |
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4 物其の所を得(う) るを盛(せい ) と為し、物其の所を失うを衰(すい) と為す。天下人有りて人無く、 |
財有りて財無し。是れを衰世(すいせ) と謂う。
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(大意) 世の中の「人や物」が在るべき適切な所に在ると、勢いがあって充実します。反対に在る |
べき所に無ければ力を失います。世の中に何かに高い能力を有する人がいても、在るべ |
き適所に居なければ居ないのと同じです。財産についても同じことです。そのような世の |
中は活気がなく充実していません。 |
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(参考) 「魚が水を得る、鳥が空を得る」という言葉もあります。人の資質や予算の使いどころを |
見極める眼を具えた上司やリーダーの存在が望まれます。それにしても適材適所の判 |
断はなかなか難しいのでしょうね。 |
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5 晦(かい) に処(お) る者は能(よ) く顕(けん) を見、顕(けん) に拠(よ) る者は晦(かい) を見ず。 64 |
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(大意) 暗がりから明るいところはよく見えますが、反対はなかなか見えません。 |
(下にい る者からは上に立つ者がよく見えますが、その反対は見えないものです。) |
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(参考) 唐の太宗皇帝(626ー645)と臣下との論議をおさめた書「貞観政要」では、上に立つ |
者が下の意見を謙虚に聞くことがいかに重要か実感させてくれます。 |
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(菜根譚32) 卑(ひく) きに居(お )りて而(しか) る後に、高きに登るの危為(きた) るを知る。晦(くら) きに |
処(お) りて而る後に、明るきに向うの太(はなは) だ露(あら) るるを知る。静を守りて而る後に、 |
動を好むの労に過ぐるを知る。黙(もく) を養いて而る後に、言多きの躁(そう) 為るを知る。 |
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6 古人謂う、「天下の事過ぐれば則ち害あり」と。雨沢(うたくよ) 善からざるに非ざるなり。多きに |
過ぐれば則ち澇(ろう) す。其の害たるや旱(かん) と同じ。今善を為すに意(い) 有て、心に任せて |
自ら是(ぜ) とする者は、皆雨沢の澇なり。余も亦往往若(おうおうかくのごとき) 人を見る、然れども |
他人に非ざるなり。自ら警(いまし) めざる可からず。 65 |
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(大意)昔の人は「世の中のことは過ぎれば必ず害を及ぼす」と言っています。雨の恵みは大切 |
ですが降りすぎれば洪水を起こし、干ばつと同じ災害となります。例え善いことをしようと |
考えてのことであっても、勝手気ままにすると降りすぎの雨と同じになります。そのような |
ことは、他人事ではなく私自身にもよくあることで自戒しなければなりません。 |
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(参考) 物事には「ほどほど」「ほどよい」「バランス」「たいがい」ということがあります。 |
それを越えればただの非常識です。どんなに優れた薬でも過ぎれば毒となります。 |
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(言志録205) 看(み) 来たれば宇宙内の事、曷(なん) ぞ嘗(かつ) て悪あらん。過不及有る処則ち悪なり。 |
看来たれば宇宙内の事、曷ぞ嘗て善あらん。過不及無き処則ち善なり。 |
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( 〃 225) 情の偏するは四端(したん) と雖(いえど) も不善、中和を致し過不及無きに帰す。 |
(四端:仁・義・礼・知に達する糸口、惻隠・羞悪・辞譲・是非の4つの情) |
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(言志後録22) 心に中和を存すれば体自ら安舒(あんじょ) にして敬なり。 |
(中和:喜怒哀楽の感情が中庸で和やかなこと) |
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