第13回三方限古典塾 2007年11月15日(木) |
佐藤 一斉(1772〜1859) 「言 志 四 録 (その6)」 |
1 誘掖して之を導くは、教の常なり。警戒して之を渝すは、教の時なり。躬行して |
以て之を率るは、教の本なり。言わずして之を化するは、教の神なり。抑えて之を揚げ、 |
(大意)側に付き添いその個性に応じて助け導くのは教育の常道です。悪いことを起こ |
さないように必要なときに説き聞かせるのは時宜を得た教え方です。自ら率先して行動 |
して教化するのは教育の最高の技です。一度戒めてから誉めたり激励して上達させるの |
は臨機応変な指導といえます。教育にもいろいろな方法があります。 |
(参考)学校・家庭・職場・社会等における教育の要諦 |
「やって見せ言って聞かせてさせてみてほめてやらねば人は動かじ」(山本五十六) |
2 官に居るに好字面四有り。公の字、正の字、清の字、敬の字なり。能く此れ守らば、 |
以て禍無かるべし。不好の字面も亦四有り。私の字、邪の字、濁の字、傲の字なり。苟 |
くも之を犯さば、皆禍を取るの道なり。 言志後録14 |
(大意)官職にある人にとって好ましい文字が4つあります。公(公平)、正(正道)、 |
清(清廉)敬(恭敬)です。これをしっかりと実践すれば禍などには遭いません。好 |
ましくない文字も4つです。私(私腹)、邪(邪悪)、濁(汚濁)、傲(傲慢)です。 |
仮りにもこのようなことをすれば必ず禍を招きます。 |
(参考)「思い邪無し」(詩経) 十分な理由のない自信は傲慢だ。(堀秀彦) |
3 過は不敬に生ず。能く敬すれば則ち過自ら寡し、儻し或は過たば則ち宜しく速 |
かに之を改むべし。速に之を改むるも亦敬なり。 言志後録17 |
(大意)過ちは慎みなく自らを顧みないことから生じます。自らを反省しその至らない |
ことを恥じ高く尊いものに少しでも近づこうとする心があれば過ちは少なくなります。 |
もしも過ちを犯したときはすぐに改めること。それも又自らを慎むということです。 |
(参考)過ちを改めざる是れを過ちという(論語)過ちを改むるに吝かならず(書経) |
4 閑想客感は、志の立たざるに由る。一志既に立ちなば、百邪退聴せん。之を清泉湧 |
出すれば、旁水の渾入するを得ざるに譬う。 言志後録18 |
(大意)自分の内側からよくない考えが生まれたり、外部のことで心を動揺させるのは、 |
自分の目標つまり志がはっきりしていないからです。志がしっかり立っておれば、いろ |
いろな邪念は消えます。これはきれいな水が泉から勢いよく湧き出ると、汚れた水など |
が回りから流れこむすきがないのと同じです。 |
小人閑居して不善を為す(大学) 君子は必ず其の独りを慎む(大学) |
5 礼義を以て心を養うは、即ち体躯を養うの良剤なり。心、養を得れば即ち身自から |
健なり。旨甘を以て口腹を養うは、即ち心を養うの毒薬なり。心、養を失えば即ち身も |
亦病む。
言志後録21 |
(大意)立ち居振る舞いによって精神修養の手段とすることは、身体にも良薬になりま |
す。精神の修養即身体の修練です。美味しい食べ物はもちろん、諸々の欲望や快楽も心 |
には毒薬です。心が不健康になると又身体も不健康になります。 |
6 心に中和を存すれば、即ち体自から安舒にして即ち敬なり。故に心広く体胖かな |
るは敬なり。徽柔懿恭なるは敬なり。申申夭夭たるは敬なり。彼の敬を見ること桎梏、 |
の若く然る者は、是れ贋敬にして真敬にあらず。 言志後録22 |
(大意)喜怒哀楽を中庸に保って穏やかであれば、自然と身体も安らかで伸び伸びとな |
ります。「心が広く平安で身体がゆったり」、「善、柔和、美、恭順」「容貌が穏やか |
でにこやか」などは何れも自分の身を正しく保つ慎みです。それを「足かせや手かせ」 |
のように窮屈に思うのは、偽物の慎みであって本物ではありません。 |
(参考)太平天国の乱から清朝を救った哲人宰相曾国藩の思想は、「敬」の一字に帰着 |
する。道徳的活動と利己的活動を分かつものは敬である。敬をもってはじめて人間世界 |
に向上の道が開ける。カントの道徳哲学でも敬の徳を力説している。(安岡正篤) |